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ジオコラム

繰り返される津波災害との闘い

これまでいく度となく津波に襲われてきた三陸海岸。被害を大きくしているのは、実はリアス海岸の地形でした。
リアス海岸は海面の上昇で陸地の谷が水没してできた地形で、岬と入り江の複雑な海岸線になっています。この海岸のなかでも特にV字型の入り江に入り込んだ津波は、両岸が狭くなるため、波が一層高くなるのです。そして、1896年の明治三陸地震による津波では、10階建てのビルを越える高さ30mを超す大津波を引き起こしています。
長大な防潮堤や湾口防波堤など、津波につながる独特な風景や、碑文にこめられた先人の苦労や願いを語り継ぐ津波記念碑、津波の威力を雄弁に語る畑や山中の大きな岩石「津波石」が見られるのも、この地域ならではです。

繰り返し大津波の被害を受ける三陸海岸

田老漁港に設置されている津波到達点を示すプレート

田老漁港に設置されている津波到達点を示すプレート

1896年の明治三陸地震による津波は、リアス海岸沿岸部の綾里湾では10階建てのビルを越える高さ30mを超す大津波になり、崖にその波高が記されていることから知ることができます。

「明治三陸津波」と名付けられたこの大津波は、被害の範囲は北海道から宮城県におよび、死者はおよそ2万2千人と、近代の津波のなかでもっとも大きな被害をもたらしました。

1933年には昭和の「三陸津波」が起き、ふたたび三陸地方に大きな被害が生じています。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波は、宮古市田老では、39.4mの波高を記録し、三陸沿岸各地に大きな被害をもたらしました。

今回の津波被害を直接的に伝える被災遺構として、被災した構造物を保存する取り組みも、現在、市町村を中心に進んでいます。

海岸の地形と大津波

津波は地震によって発生し、大きなエネルギーを持っていますが、沖では水深が深いので波の高さはそれほどでもありません。しかし、海岸に近づくにしたがって水深が浅くなると、津波のエネルギーは行き場を失って高さを増幅します。

それに加え、リアス海岸は海面の上昇で陸地の谷が水没してできた地形で、岬と入り江の複雑な海岸線になっています。この海岸のなかでも特にV字型の入り江に入り込んだ津波は、両岸が狭くなるため、波が一層高くなるのです。

10階建てのビルを越える大津波は、このようにして起きるのです。地震が起きると、普段やウニやカキなどの海の幸を育むリアス海岸が一変してしまうのです。

海からやってきた畑のなかの大きな岩

合足の津波石

合足の津波石

明治三陸津波の威力を物語る石がいくつか見つかっています。「津波石」と呼ばれていますが、石といっても1辺が1m以上あるような大きな岩です。

ひとつは田野畑村羅賀の畑のなかにあります。長さ約3m、幅約2m、重さも20tはあろうかという巨大なものです。表面には波の作用でつくられた無数の凹みや孔があり、貝殻も付着していて、海の底にあったことがうかがえます。地元の人々にも「津波石」と知られていて、2、3代にわたって津波の恐ろしさとともに語り継がれています。

大船渡市三陸町合足(あったり)の林のなかにある津波石の存在も知られています。やはり、海底にあった痕跡が岩の表面に付いています。山の斜面に取り残された大きな岩を見ると、津波のエネルギーの凄まじさを思い知るばかりです。

津波から命を守るために

何度も大きな被害に遭ってきた三陸沿岸では、防潮堤や防波堤が多く造られています。なかでも「万里の長城」と呼ばれた高さ10m、長さ2.4kmの長大な防潮堤は、通常の2階建て住宅よりも高いものでした。一方で田老地区では津波からの避難場所や避難訓練が実施されるなど、ハード・ソフトの両面から津波に対する取り組みが続けられてきました。

しかし、東北地方太平洋沖地震による津波は防潮堤の高さをはるかに凌ぎ、再び田老地区に大きな被害をもたらしました。

地元のことばで「津波てんでんこ」ということばがあります。たとえ家族でも人のことを気にしていては津波に巻き込まれてしまう、一人でも急いで逃げなさいという、なんとも胸が痛くなるような教えですが、津波から命を守るには必要なことなのです。

また、これらの津波の記念碑は三陸海岸の各所に多く存在します。「明治三陸津波」や「三陸津波」のものが多いですが、チリ地震津波や江戸時代、そして、今回の津波記念碑も分布します。碑文にこめられた先人の苦労や願いを語り継ぎ、津波の知識の理解と対策を継続することが大切と言えるでしょう。

美しい風景や海の幸と、すぐその裏側にある自然の猛威。いつ起こるかわからない恐怖を忘れ去ることなく、三陸の人々の暮らしは海とともに営まれています。