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ジオコラム

豊富な鉱物資源「繁栄を支えた金山と製鉄の歴史」

豊富な鉱山資源

複雑な地質と各時代の火成活動で形成された北上山地の多様な鉱物資源は、古くから日本の繁栄を支えてきました。
黄金の国ジパング——13世紀に東方を旅したマルコ・ポーロは、「東方見聞録」で日本をそのように紹介しました。その根拠のひとつが陸前高田市の玉山金山ではないかとされています。多くの金を産出し、奥州平泉・藤原氏の栄華、豊臣秀吉や伊達政宗の財政などを支えた玉山金山は、文字通りの宝の山だったのです。
また、江戸時代からのたたら製鉄遺跡が数多く存在する久慈広域のたたら製鉄、日本の近代化に欠かせない幕末の高炉銑鉄の遺構(橋野鉄鉱山・栗木鉄山跡)など、近代の産業文化を担う豊富な鉱物資源を見ることが出来るのです。

日本最古のペグマタイト金鉱床

玉山金山の史跡

玉山金山の史跡

金という鉱物は、一般に非常に温度が高い地下水の鉱床から産出します。しかし玉山金山の場合、マグマが地下深いところでゆっくり冷え固まるときにできたペグマタイトから産出されます。
玉山地区には、約4億4千年前にマグマが冷え固まったときにできた「氷上花崗岩」と呼ばれる花崗岩が分布しています。これは、石材としてよく使われている御影石です。冷え方が非常にゆっくりだったために大きな結晶ができたのが特徴です。このような大きな結晶から成る花崗岩の仲間をペグマタイトと呼びます。
結晶のなかには石英、白雲母、カリウム長石などの鉱物が含まれ、幸運にも石英のなかに多くの金が含まれていたのです。
周辺には、ほかにも金山が分布し、多くの金が産出されました。それらはいずれも日本でもっとも古いペグマタイトの金鉱床といわれ、ほかの北上山地に分布する金の鉱床とは時代的に異なると考えられています。

古代から近代に至るまで政治に大きく影響

玉山金山の歴史は古く、始まりは奈良時代とされています。聖武天皇が東大寺大仏像建立に使う黄金を調達するため、行基という高僧を黄金探しに行かせました。
この地にやってきた行基が疲れて道端で昼寝をしていると、弁財天が夢に現れて「玉山に黄金が産出する」と告げたのです。行基はお告げ通り、こぶし大の金塊を発見し、これが玉山金山の始まりとされています。
平安時代、奥州平泉に建立された中尊寺金色堂にも玉山の金を使ったとされています。秀吉や仙台・伊達家の権力者も、玉山金山の採掘を直接管理していたといいます。
近代においては、明治政府が玉山金山を中心とする気仙地方の金の埋蔵量が時価40億円以上に達するという報告書を発表しました。日露戦争で軍事費が不足したとき、日本銀行副総裁だった高橋是清は、気仙地域の金山を担保に、アメリカやイギリスから戦費を借りています。
このように、大量の金を産出した玉山金山は、さまざまな場面において重要な役割を果たしてきました。
『東方見聞録』に出てくる「黄金の国ジパング」は、玉山金山を中心とする陸奥の国(気仙地方)そのものであったともいわれています。玉山金山の存在なくしては、黄金の国ジパングの発展はなかったかもしれません。

古代の製鉄から近代製鉄の夜明け

釜石鉱山跡

釜石鉱山の選鉱場跡

また、北上山地の一帯は鉄資源にも恵まれており、砂鉄と豊富な木材資源をもとに“たたら製鉄”が盛んに行われた歴史を有しています。
江戸時代〜近代のたたら製鉄遺跡が数多く存在する久慈広域のたたら製鉄、日本の近代化に欠かせない幕末の高炉銑鉄の遺構(橋野鉄鉱山・栗木鉄山跡)や、近年まで稼動した釜石鉱山等の鉱山など、製鉄の歴史上でも貴重な地域であります。
特に南部地方の釜石市は近代以前より鉄の産地でありました。ここに幕末から明治期にかけて洋式高炉として橋野地区に高炉が作られ、日本の製鉄の近代化と産業近代化に大きな役割を果たしました。橋野鉄鉱山は現存最古の近代製鉄炉跡として重要な遺構であります。
また、釜石鉱山は、スカルン鉱床が発達し、国内有数の磁鉄鉱、黄銅鉱の産出量を誇る鉱山であり、明治期から戦後にかけて日本の産業発展の担い手として重要な役割を果たしています。
さらに、野田玉川鉱山の「原田石」、田野畑鉱山の「神津閃石」、大船渡市内各地の石炭紀からペルム紀の石灰岩が分布する「石灰石鉱山」、松森鉱山の「ザクロ石」などの貴重な鉱物の産出でも知られており、鉱物資源と人々の関わりの歴史を知ることができます。