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ジオコラム

太古の日本を甦らせる化石たち

岩手県立博物館にあるモシリュウの復元骨格

岩手県立博物館にあるマメンチサウルスの復元骨格

三陸では、地質形成の歴史の特徴を表す化石が各時代の地層から産出されています。それらは、地質が形成された当時の環境や地層の堆積年代を特定する証拠として、古くから研究されてきました。
特筆すべきは、シルル紀化石(樋口沢ゴトランド紀化石・大船渡市)と恐竜化石(モシリュウ・岩泉町)です。これらは「日本で最初の発見」となりました。
ほかには、日本の白亜紀前期の標準層序である「宮古層群」の海洋生物の化石、日本の白亜紀前期の地層から産出する植物化石としては、北限の分布域となっている「小本層(おもとそう)」、古生代デボン紀の頃に出現し、陸上に林をつくった千丈ヶ滝層のリンボクの化石、白亜紀の小さな生物がそのまま閉じ込められた「久慈層群」の琥珀などもあります。 三陸では、地質学の研究に大きな影響を与え、世界的にも貴重とされる数々の化石を見ることができるのです。

日本初の恐竜化石は岩泉町で偶然発見された

昭和53年夏、日本の地質学界に、それまでの認識をくつがえす衝撃的な出来事が起きました。「モシリュウ」の発見です。
恐竜が陸上で繁栄していた中生代は、日本列島の大部分はまだ海の底にあったため、「日本に恐竜はいなかった」と考えられていました。しかし、別の調査のために岩泉町茂師に滞在していた大学教授と博物館の研究員が、宿泊していた民宿の裏の斜面で動物の骨のようなものを見つけました。後の調査で、その骨はアジア最大の恐竜・マメンキサウルスの上腕骨に類似していることがわかりました。そして、骨が発見された斜面は、宮古層群という白亜紀の地層でした。
これが三陸で起きた「日本で最初の発見」のひとつです。その後全国各地で恐竜化石が発見されるようになりました。

当時の温暖な気候を物語る宮古層群

浅い海に堆積したと考えられている宮古層群は宮古市から田野畑村にかけて分布し、当時のほかの生物たちの様子も伝えてくれます。
田野畑村のこの地層には「ハイペ・コイコロベ白亜紀化石産地」をはじめ、海岸沿いに化石産地が点在します。前期白亜紀の示準化石であるアンモナイトや三角貝、サンゴ類など、種類、数ともに多く産出し、この時代の生物の進化の歴史を読み取るための重要な資料となっています。
そのため、これら化石産地を含む宮古層群は、日本の前期白亜紀の標準層序のひとつとされ、地質学的にとても貴重なスポットとなっています。
また岩泉町には、シダ植物類を多く含み、熱帯から亜熱帯の植生を示す植物化石を産出する「小本の前期白亜紀植物化石産地」があります。日本国内で産出する前期白亜紀植物分布の北限であることから、中生代植物の重要化石産地に位置づけられています。

神秘のタイムカプセル・琥珀

まさに美しい琥珀色

まさに美しい琥珀色

琥珀は世界中で宝石として知られていますが、実はこれも地質学上の重要な資料のひとつです。琥珀は、三陸では久慈層群という中生代白亜紀の地層から産出されてきました。この層は久慈湾から十府ケ浦(野田村)にかけて弧を描くように分布し、琥珀産地はそのライン沿いに点在しています。
宝石と呼ばれるもののほとんどが鉱物ですが、琥珀は植物の樹脂の化石です。なかには樹脂に虫などが取り込まれたものもあり、保存状態が非常に良いことから貴重とされています。その虫は琥珀のなかで、その姿のまま、数千万年もの時を過ごしてきたのです。琥珀はまさに「神秘のタイムカプセル」ということができるでしょう。
琥珀は一般的に地中に埋没していますが、十府ケ浦では、地中から産出されるほか、波によって打ち上げられる漂着琥珀があり、海岸の石の間に見つけることもできます。
また、久慈市にある奈良から平安時代にかけての集落遺跡、中長内遺跡は、多くの琥珀を産出しています。加工がほどこされたものや原石、破片まであり、そこは琥珀玉作工房だったと考えられています。
琥珀を産出する久慈層群や、モシリュウが発見された宮古層群などの中生代の地層は北部エリアの沿岸を中心に分布しており、近年でも久慈層群から恐竜化石が発見されるなど、新たな発見の可能性を秘めています。モシリュウの発見現場は民宿の裏というとても身近な場所でしたし、久慈層群の恐竜化石は琥珀採掘場からの発見です。日常目にするなにげない場所に、化石はまだまだ眠っているのかもしれません。