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39.田野畑の宮沢賢治詩碑

震災前からたたずむ詩碑

「発動機船」は宮沢賢治が1925(大正14)年1月、発動機船に乗った時の情景を書きつづった作品です。出航地が田野畑村羅賀の港とされていることから、詩碑が村内の3ヶ所に建立され、そのうちのひとつが島越駅前にあります(ほかには田野畑駅と平井賀漁港)。
東北地方太平洋沖地震の津波では、島越駅舎を含めて一帯の建物のほとんどが流されましたが、詩碑はほぼそのまま残りました。
賢治は、明治三陸津波の年である1896(明治29)年に生まれ、昭和三陸津波があった1933(昭和8)年に病でこの世を去りました。文学者として自然災害に苦しめられる人々の話や白亜紀の恐竜世界に迷い込む話などの作品を数多く残す一方、優れた地質学者としてイーハトーヴ(岩手)の大地の調査研究を生涯続けました。島越駅の詩碑は、今回の津波とその復興を見届けるかのように以前と変わらぬ姿でこの場所にたたずんでいます。

田野畑の宮沢賢治詩碑

田野畑の宮沢賢治詩碑

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