岩礁に船が難破することが多いことから地獄ヶ崎と呼ばれていましたが、江戸時代、ここを訪れた仙台藩5代藩主・伊達吉村公が祝崎と改め、13代慶邦公が歌に詠み、今の岩井崎という地名になりました。
灯台付近の灰色の岩にヒトデやウニの仲間のウミユリ、石浜の白い石灰岩にサンゴ、そして、岬の西側の小さな防潮堤付近にフズリナと呼ばれる海底にすんでいた動物の化石がい層を作っています。岩井崎の石灰岩は当時の赤道付近のサンゴ礁が長い年月をかけて北上してきたと考えられています。
打ち寄せる波と雨水が長い年月をかけて石灰岩を侵食し、牙状の奇石の並ぶ地形を作り、また海食洞と潮吹きの縦穴をつくりました。以前は潮が見上げるばかりに吹き上がりましたが、震災後は規模が小さくなりました。地盤沈下の影響かもしれません。しかし、干潮の時に海が荒れていると見事な潮吹きを見ることができます。